かつて種田山頭火が「分け入っても分け入つても青い山」と詠んだ山紫水明の地「九州中央山地」。熊本県と宮崎県を分かつようにそびえる九州中央山地は、1982年に国定公園の指定を受ける。九州の背骨、「脊梁(せきりょう)」とも呼ばれている。急峻な地では、かつて駄賃付け(だちんつけ)とよばれる交易が行われていた。馬の背に物資を乗せ、尾根づたいに往来し、水上村の古屋敷などの集積地で物々交換を行う。炭や茶、椎茸、紙原料のこうぞ・みつまたなどの物資を、塩鯨や塩鯖、焼酎、日用品などと交換してきた交流の歴史があった。
さらにその先の湯前町や多良木町との文化や情報の交流、婚姻など、深い絆が結ばれてきた。
山岳信仰などでも結びつきがみられる。たとえば熊本県水上村と宮崎県西米良村の県境に鎮座する市房山(1721m)は、球磨盆地に暮らす人々から「御岳」と称され、御岳参りが行われてきた。
日本一の清流として名高い川辺川、球磨川、一ツ瀬川、小丸川、耳川、緑川などの、多くの一級河川の源流があるのも、この九州中央山地である。豊富な降水量は、山々の尾根に、ブナやミズナラなどが群生する豊かな森を育んだ。シャクナゲやアケボノツツジなどが旬を彩る。近年ではその深い森に癒しを求め、登山やトレッキングなどのメッカともなっている。民謡や伝説・説話も多く残る。この地に暮らす人々により紡がれてきた山村文化は、民俗学の宝庫。
遠い昔と現在が、「日々の暮らし」という場においてクロスする歴史深い土地柄でもある。平家の落人伝説が残る地も多く、訪れた人々は、天下分け目の壇ノ浦へと思いを馳せるロマン深い土地である。
厳かで寛大な大自然を暮らしの中にしっかりと刻み込みながら、今でも人々が暮らす、真に豊かな地。九州中央山地はこれからも旅人らを魅了し続けて行くことだろう。